大食いのYouTubeの動画がとっても再生されていると目にしたのは随分前。
ふーーーん と思っていた。
そのためにわざわざYouTubeを見る気持ちなど無かったし
実際見てなかった。
テレビも見ないから、今活躍している大食いファイターと言われる方たちも存じ上げない。
尋常ではない量を召し上がることは
凄いとは思うが・・・・
この ・・・・ になんとも書きにくい心情があったりしたし。
で、こんなのをあっさり乗り越えて、私の目に大食い動画が飛び込んできてしまった。
見始めたらみちゃうもんです。
で、見ているうちに、自分もなんだかいっぱい食べられるような気がしてきて
1回の食事用に茹でるパスタの束もちょっと多めになったりして
動画を見てしまった後は、いつもよりいっぱい食べてた自分に笑った。
影響ってうけるんだよね。
良いも悪いもなく、スッと入ってきて影響受けてる。
今回みたいに、
少々茹でるパスタの量が増えたところで大したことは起きないし
焼き鳥屋さんの映像を見て、
焼き鳥食べたい! お店でね! と思ったところで別に困りもしない。
ただ、歴史的にも
そして、今もあるように
「その時は正しいことだと思いました」という影響されやすさが生む(時には影響されていなくても)悲しい出来事は絶滅しておらず、現代の社会にもある。
自分のうっ憤やストレス、残虐性を発散するためや、承認欲求がより一層の原動力となり
「正しい事」という罪悪感を持たなくて良さそうな御旗に乗っかるのも
「影響を受ける」ということにも含まれるけれど
時々、(それって気がつかないふりの確信犯じゃないの?) なんて邪推しちゃうこともある。
(責任はアノ人やアレにあるから、私は責任をとらなくてもいいから。従っているだけだし、それしかできませんから)という前提でGOを出しているような感じ。
(責任はアノ人やアレにあるから、私は責任をとらなくてもいいから。従っているだけだし、それしかできませんから)と主張して(時には暗に伝えて)
その影響をより広めるということがある。
第2波、第3波、または派生した影響力とはこんな展開が見えないところで起きている。
ヒトは善き事もするし、悪しき事もする。
しかし、善き事も悪しき事も本当の本当の本当のところをジャッジするのは大変難しい。
私達は主観でそれをジャッジするけれど、もっともっと大きな仕組みの中では全く別の意味を持つことがある。
そう、よくよく大きな仕組みを感じれば感じるほど
善きも悪しきもないんだろうな。と思えてくる。
あるがままに見ると、ジャッジは必要ない。
関わり合いと循環。
その中で自分がどう生きていきたいか?という事に過ぎないが、
自分がどう生きていきたいか?とはどういうことか?が難しいのかもしれないな。
それは1つに
頭でごちゃごちゃ考えることがぶっ飛ぶくらいの
「ホンモノ」に出会う、「ホンモノ」を知る、という体験をできるかどうかも大きいのかもしれない。
そういった体験をすると、雑念は結構減る。
それに「ホンモノ」とはなんぞや? という説明も難しい。
そして、「ホンモノ」と感じる度合いも様々ある様だ。
浅いホンモノから深いホンモノまで色々ある様な気もする。笑
そう思うと、雑念ってなんだろうね?
本当はピンとこないものを正しいと自分に思わせるため、言い聞かせるための理由付けな一面もあるのかもしれないね。
変わらなくても良いというOKが欲しいが故の理由付けとかね。
自分を煙に巻いているという話を以前書いたことがある。
ただ、「ホンモノ」に出会う、「ホンモノ」を知る、という体験できるというオッズはかなり高いのかもしれない。
なかなか棚からポトリとは落ちてきてくれないイメージ?
本当は当たり前に目で見て、聞いていること、感じていることも「ホンモノ」だったりするけれど
それをそう感じる感性を磨いておくのが多分難しいんだと思う。
視点を変えるって難しい時があるものね。
ホンモノって何だろうね?
それってどうやってわかると思いますか?
浅いホンモノから深いホンモノのグラデーションがあるとしたら、それを理解するには、自分で実際に感じてみないと始まらない。ということも言えそうだ。
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