ミラーリングっぽいことについて

本日は、リアルマスターヨーダとのやりとりや、前回の英語のコミュニケーションのおまけについて書きます。

第一期

頭に巨大な電波塔が建ったとでも言いたくなるような体験をしましたが、それを非常に客観的に分析というか、データ分析というか、データ採取のようなことをしている時期がありました。

 

体感🟰事実と思ってそれを信じ込むというようなことと距離を置いて

体感🟰そう感じる体験、脳内変換、感受性の1つのパターン

という「そう感じたけれど、とりあえず保留」方法を選択したんじゃないかと今は思います。

Engin AkyurtによるPixabayからの画像

第二期

相談者さんに触れる時間が長い施術を始めた頃は、まぁーー脳内映像も賑やかでしたが、それらをあるがままにしておいたら(能力開発もしなければ、感じ無くなるのにも抵抗しない。あるがまま)、以前のようにあんなに活発に脳内映像は感じなくなりました。

 

脳内映像が活発で、一応見えたというか感じた映像などはお伝えしたりしていましたが、今は特になんも見えないからお伝えしてない。

ramazan balayevによるPixabayからの画像

 

第三期

時系列は無視してしまいますが、第一期の体験をする以前、子供の頃も含めて、以前も書いたメタ推理なのか直感なのか、まぁそんな感じの能力というか特性なのかを保持しつつ生活しておりましたが、そう言ったものは他者に伝えても「被害妄想」「邪推」「嫉妬」「悪口」というような捉え方をされることがほとんどなので口に出すことは無かった。それらも含めてデータ蓄積していった感じです。

 

何も言わないぶん、「出来事」と「その後の経過、変化」みたいなものを黙々と見ていたかも知れない。

rubyliaによるPixabayからの画像

 

価値観とか、世界とか

「ヒトは見たいように見て、聴きたいように聞く。」ということは骨身に沁みて体感していますが、そこにも本人の感情(思考、嗜癖)が様々な作用をしているし、それこそが個々の世界なんですよね。私にも私の世界観があるように。

第一期の体感の話になって

マスターヨーダに施術を受けている最中に私が疑問、質問、体感を喋りまくっていたことはすでに書いていますが、その話の流れで、第一期の時の体感についてお伝えしたら

「生命の危機(臨死体験風味の意味)のような体験はあったんですか?」と質問されたので

「あったんですよ〜」と当時の体験を久しぶりにおもいだしました。

生と死は隣り合わせ

そう、生命とは死と隣合わせだ。ということを体感として理解した若き日の出来事を。

いやほんとに、マジで真隣にいるんだと理解しましたよ、あの日に。

本人が望むとか、望まないとか、考える、考えない もう何も関係なく、全人類の隣にあるということですが。

 

だから、私が話した第一期の体験があったということは、それは臨死体験みたいなこととセットになってるんじゃないか?というリアルマスターヨーダの推測であり、質問なのだと思いましたが、ビンゴでございました。

 

正確には臨死体験とは異なりそうですが、

生命とは死と隣合わせ。だということを体感として理解した若き日の出来事ではありました。

 

もうね、今は幸せでよかったです。

これに尽きる。

生きていることや笑っていることや、いろんなご縁に感謝しております。

VIJAYBBN MACWANによるPixabayからの画像

 

で、また言語の話になるんですが

そう思うと、やりたい事でやれそうなら、やってみたら良いじゃん。って思うんですよね。

 

東京で英語で生きたコミュニケーションしようと思ったら、コンビニでも、ホテルの配膳でも、アルバイトしたらいくらでも機会はある。

 

わたしゃ、英語のコミュニケーション能力はからきしですが、その代わりと言ってはなんですがとりあえず表情とスマホのアプリと単語でコミュニケーションすることに、まずはトライしてまして、海外旅行に行ってる最中などは誰も代わりに交渉とかもやってくれないからやりますし、

先日「ミラーリング」をみて、ほほーーー! やってみたいじゃん! とキャッキャッと1人で盛り上がったホテルでも

フランス語らしき言語で話しているカップルとエレベーターが同じになりまして、エレベーターの中のミラーごし(またミラー!)にお二人がそれぞれピカチュウとポケモンとカタカナとイラストが描かれたTシャツを着てるのに気がついちゃったもんだから、

エレベーターを降りる時に

「Have a good night! ピカチュウ!ポケモン! (^^) 」と笑顔で声をかけたら通じまして、

「Oh! Good night (^^) 」と笑って返事をしてくれました。

 

なんというか、英語をペラペラ話せないし、聞き取りもなかなかな難物なんですが、私はこんな体験が楽しい。

だから、話せないし聞き取れないけれども苦手感は少ないというか、【能力は不足している】という現状認識はバッチリしていますが、コミュニケーション自体は楽しいです。

 

通じてませんけど。笑

 

難しい話しはできませんし。

ネイティブの方に「発音が上手ね。上手過ぎて聞き取れないわ」と私が日本語で話してるのを聞いた日本語がわかる方に笑われたり。

VictoriaによるPixabayからの画像

 

それでも1人で海外旅行行って、ネイティブだけしかいない所で目的を果たして無事安全に過ごして、楽しい思い出になってますし。

 

言葉が出来たらもっと楽しいでしょうけどね(^^)

聞きたい

私は現在英語については、自分が話したい!というより、何を話しているのか聞けるようになりたい!方が優先順位はダントツ高いという自己理解をしています。

10年前より今の方が少しだけわかるようになった気がしますが、元から洋画を好きで見ていて、耳にはしていたので、音を聞くという能力にどの程度変化があったのかよくわかりませんが、音に加えて、意味が10年前より分かるようになっていたら良いな。という希望があります。笑

 

言語習得能力って長けてる方がやっぱりいて、少なくとも私はそうじゃない。他のことを習得する能力はそこそこあったとしても、英語や韓国語習得については人並み以下じゃないかと睨んでおります。

スマホの翻訳ツールのありがたいことったらない。

ありがたい時代になりました。

Gordon JohnsonによるPixabayからの画像

まとめ

あまりに散らかり過ぎたままなのでまとめます。

 

安全と健康を優先していただけましたら、少々のことは先ずは飛び込んでみたらどうでしょうか?

合わなきゃやめたらいいし。

ただ、先ずはやってみて、その感触を感じてみるって良いなぁって思うんですよね。思ったより簡単とか、思ったより難しいとか。

信じている物事が変わることもあるし。

 

怖がること🟰安全 とは限りませんので。

 

怖がること🟰慣れないこと というケースも少ないないんじゃないかな。

 

焦らず、ちょっとずつ自分のペースでトライしていかれたら良いような気がしています。