願いを叶えたい

それは息子を変えること

そのために必要なのは「心を折る方法」

前回、決して祈りを否定しないし、私も祈りますが、

「「他者を変えたい」となればそれは呪いじゃない?」と書きました。

相似形 考察「無関心」 – 武田美紀のブログ

 

書いた後、(もっとわかりやすく書けるなら書きたい。)思っていたんですね。

そしたら、適した話題を得ました。

こちらの動画の中に、「息子の心を折る方法を教えてください」という【とある相談】があります。それがケーススタディとして向いていると思えました。

 

特殊ケースじゃない

親子

お子さんの幸せを願う親御さんは多いですが、ご自身が愛だと思っているものもいろいろです。

いや、親なら全員子供の幸せを願いますよ!というご意見もあると思いますが、おそらく全員ではありません。八つ当たり、イライラの発散相手として非力な子供を選び、死に至らしめる親はいますし、どうしても子供を愛せません!というお悩みもあるようだ。愛していない。という自覚が無い方もいらっしゃるかもしれない。

自分の承認欲求に役立つための条件に合う「子供の幸せ」以外は認めない。ということもあるでしょう。

VIJAYBBN MACWANによるPixabayからの画像

夫婦、恋人、好きな相手

例えが極端ですが、藁人形も祈りと言えば祈りですからね。

痴情のもつれという言葉があるように、アレコレともつれたら呪いと感じるような祈りも発生したりする。古今東西の芸術作品にも影響するモツレが。

双方の健康的な愛情ではなくて、自分のためだけの愛?愛もどき?もある。

Taras LazerによるPixabayからの画像

 

直接知らなくても

私は自分のできる範囲で寄付をしますが、寄付の先の皆さんの幸せを祈ってはいても、直接は知りません。

芸能人やインフルエンサー、ネットの中の誰か、知人の知人などなど、ファンにもなればアンチにもなる。

 

だから、と書くのは適していませんが、「祈り」と書くとなにやら良いイメージ、良い行為だと決めつけがちですが、その内容によっては風味が変わってきますでしょ?

ヒトを知る、他者を知る、自己を知るって奥が深いなぁって思います。

 

ヒトを知りたかったら、まずは自分が先だとつくづく思いますが、こんな単純なことになかなか気づけない。私ももちろんそうでした。今でもそうかな?まぁそうでしょうね。(笑)

 

本当に人間って興味深いです。

 

それにしても

岡田氏の動画を数年前は見ていましたが、今はもう遠ざかっています。が、丁度いいタイミングでおすすめに出てきてよかった。動画を見てもらったら話が早いから。

しかし、この方、幅広い世代にファンがいる。これはすごいことだと思う。

Juanita de PaolaによるPixabayからの画像