情熱などは無い方が良い?!

愛もない方が良いかもね

私はたびたび、ふと耳にしたり、目にする言葉に

ハッ!

S KによるPixabayからの画像

とする、させられる。

 

どなただったかなぁ、どこで目にしたのかな?YouTubeの中でおっしゃったような気がするけど。

 

「すべてをあきらめたら幸せになります。(幸せを感じられます。だったかな? 楽になりますだったかな?)」という言葉。

 

この場合のあきらめるは、放棄するというような、関心を持たないとかそうゆうニュアンスだった気がする。「執着を失くしたら幸せになる」という言葉に置き換えられるのかもしれないが、私は置き換えたくない。

理由は今から書きます。

 

そしてその理由の説明に自分が書いた前回のブログを利用します。

それはこちら

ただいま勉強中 – 武田美紀のブログ

 

幸せってナニ?

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光があるから闇を感じる。闇があるから光を感じる的な意味合いですが、(昔ホームページのコラムを書く際に引用した)古いヨガの師(祖)がおっしゃった、修行する意味?修行の目的?とは「死んでいるように生きる」という話がありましたけれども、死んだように生きていることを幸せと感じる方もいるのかもしれないし、そもそも「幸せ」とか感じないこと、求めないことが最終目標とも解釈できますでしょ?

執着を失くして、生きている感覚も手放す。

 

私はこれに言うほど魅力を感じない。これとは無関係にヨガもしていないわけだか。

 

執着を心の状態、欲望の状態だとすると、状態を良い意味合いにするのも、良く無い意味合いにするのも、思想?教育?価値観?次第とも言えますか?

 

美しい愛にも、ドロドロの愛にも何かしら、どの方向性かによる執着ってあるだろうし、

人生を豊かにする情熱、人生が豊かに感じる情熱にも何らかの執着的要素ってあるような気がする。

平和を希望するとか、祈るという行為にも数パーセント?もっと?の執着を含んでいるように思うし。

減らず口でゴメンナサイ

減らず口を文字に起こすと、

「執着」にこだわることが執着だし、「執着を失くそう!」という執着だったりする。

これも昔に文章にしたけれども、「悟る」ことに執着するというパラドックスはありはしないのか?ということだったり。

 

そういう思想ならば、そりゃそうだ

だからある意味、

情熱などは無い方が良い?!

はたまた、

愛なども無くて良い

(と感じる)というのもある種の思想的にはそうだろうと思う。

 

楽しいとかもいらないわけだから。

いや、なんなら何があっても「苦しい」とも感じないわけだから。

プライドも無ければ、成功や失敗もないし、恥ずかしいとかもないし、清潔な洋服を着なくてもいい。

住むところが無くてもいい。

ramazan balayevによるPixabayからの画像

 

自分がどんな人生を送りたいかだけ?

執着を失くすこと、悟りを開くことのみが人生だという方もいらっしゃるかもしれない。

 

私は楽しみも愛も光も闇も嬉しいことも悲しいことも経験があるが、これらを我がことだと感じることで感性や思考が育ったと思う。

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全てを放棄するというような、関心を持たない、なにも感じなければどれほど楽だろうかと思ったし、それが悟りという状態かな?とも思った過去があるけれども、そういう「遮断」系、「無感覚」系ではなくて、【あきらめる】を「明らかに見る」という言葉で使っての全てのことに反応するし、感情も動くし、不満も感じ、執着もするし、愛も欲するが、それらを認知して、気が付いて、あるものとして包括して、内包していく、受け入れていくことが「強さ」であり、生命であり、人生であるというようなことも悟りと表現したければしたら良いんじゃないの? と今は思っている。

 

自分の執着との共存、その共存の仕方を考えて理解して実践していくことを、悟りと言いたければ言えばいいと思っている。

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また

  • またあの人に会いたいな
  • またあれが食べたいな
  • 次はあそこに行きたいな
  • 今日は幸せ(平和)だった。これが続くといいな
  • 昨日より痛みが減っているから、明日はまたもう少し痛みが減るといいな

こういった欲望も生きているからこそ感じる。光も闇も両方。

大抵いつかは死ぬんだから、なにも折角生命を授かって生きているうちから死んだように生きなくても良い。いくら権威があるかもしれなかったヨガの師(祖)が推奨したとしても。

というような気持がいる2025年6月現在です。(笑)

 

師(祖)の推奨する人生もあるだろう。

しかし、自分が生きたい人生を構築していって試行錯誤しても楽しいと思う。

 

政治にしても、人生にしても、なんにしても全てが勉強しながら、考えながらなので、今回書いたことは今日現在の私の脳内にあったものです。

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