浄化が気になりますか?

最初におことわり

浄化が気になりますか?と問いかけました。諸説あることは知ったうえで非常に荒々しく「浄化教」と書いたら・・・きっとダメですね。浄化という概念の「おしえ」だとは思うので表現としてはそう遠くないとは思いますが、私が書くと皮肉感が混じってますかね?

 

という前置きからうっすら予感ができるかと思いますが、浄化や邪気という概念や行為に一家言ある方や、これらの理のマスターだと自負されている方はこの先を読んでいただいても意味が無いと思いますし、ただ腹が立つとかイライラするという事態になりかねませんのでこの段階で読むのをやめていただいくことをお勧めします。

と前もってお知らせしました。この先を読んでいただいての不満を私に向けないでくださいね。そういったことも自己責任でお願いいたします。

浄化のためのアイテムあれこれ

浄化の教え、自己流アレンジも含めて「浄化教」としたときに、流派もお作法もいろいろあるようです。

音叉

私が音叉を使わないのに、音叉の話を書くことがそもそも失礼なのですが、少しお待ち下さい。ウンチクを語るのではなくて、体験談を書くだけです。

音叉を鳴らせばいいってもんじゃない説

私は音叉も持っていないし、一家言もなく、ヒト様のおっしゃってることをただ聞きますが、その中で「音叉をならせばいいってもんじゃない」とおっしゃっていた方がいました。複数名いました。

音叉を鳴らすというか、音が出るように叩くというか、それらを行う側のスキルというか、姿勢というか、状態が関わってくるよねとは思う。無知な私でも、数少ない回数音叉が鳴らされるのを聞いた際に、違和感や、不快感を感じたこともあったし、音叉ではなくて「鐘」でしたが、その音色に何も感じないのに、足から頭まで振動が骨を伝わってくるのを感じたこともあった。違和感も不快感もなし。心地よいというより、おーすごい!音の影響ってこういう風にあるんだね。と感動しました。あのような「上手な?」鳴らし手さんによりバランス調整が起こるんだと実感したことがありました。

ということは、鳴らし方によっては、バランスが崩れることもあるんだろうと思ったんですよね。

スキルというか、テクニックというか、もっと目に見えない分野の話なのか分かりませんが、音楽に携わる方なら当たり前にわかるお話だと思います。

そう、10年以上前に、叩く人によってはタンバリンの音色が楽しい音楽の一部になるのか、調和を壊す騒音になるのかの違いを体験して非常に驚いたことがありました。タンバリンという素人からしたら単純に感じる楽器なのに、全然違った。全然違い過ぎて素人の私が驚きました。

あの調和を乱すタンバリンの音を聞いていた時に、とても不快で、違和感を感じました。音叉もタンバリンも奏でる側の状態、スキルって関係するなぁという実感があります。

S KによるPixabayからの画像

音叉についてもそういうことなんだろうな。という体験からの個人的な意見です。

 

良かれと思って、相手にバランスの不調和を起こす可能性のある行為をするというのは、本当に音叉に限らないし、そもそも何もしなくても生きているといろんな環境のもとバランスの不調和を起こしますでしょ?

 

だから何かだけをやり玉にあげたいわけじゃないんです。今回は音叉と書きまして、申し訳ありませんが。

自分以外が不浄だと思いながら浄化をするパラドックス

邪気を嫌っているその気持ちは邪気では?

私はこーゆーことを書くから、嫌がられる。共感を持ってくださる方もいらっしゃいますが、楽しく浄化をしていたり、真剣に浄化をしていたり、それをやることで機嫌よくしている方には、自分を否定されているような気がしてイライラされそうです。

 

あなたのことを書いているわけではありません。イライラするくらいなら画面を閉じて忘れてください。(^^)

ただ、ストレスケアについてセッションを行っている私にはこういったことを考察することは大切だと思っています。

ddzphotoによるPixabayからの画像

そもそもの設定

  • 自分は特別、害は外からくる。
  • 不浄に影響される善き私。
  • 外部からの影響の遮断、跳ね返しに注力する。

というイメージもあるかもしれませんが、善悪とうか、そもそもの設定は誰かが決めてますでしょ?ご本人かもしれないし、浄化マスターみたいな方かもしれないし、動画や書籍の発信者の選別眼によるものだったり。

 

自分以外を「不浄」「ケガレ」とするそもそも設定は、他の誰かから見たら浄化対象かもしれませんね。

 

ふと、(こういうのってシュールだなぁ)と感じることがありました。

例題として書いています

誰も否定していません。現象というか、心理というか、そういったことに興味があるだけなんです。

ですから皆様におかれましては、機嫌よくお過ごしいただけましたらそれがベストです。

 

願いを叶えたいので、悪魔にお願いする

なに急に?! という小見出しですが、欲望を満たすために手段を択ばない的な意味合いでしょうか。小説にもよく出てくる考え方なのですが、悪魔は神様のふりをするという設定があります。

そして、「ここはパワースポットだよ」という噂を利用して人間の欲望を刺激して人を集め、良かれと思ってその場所に来た人たちの大切なもののバランスを崩すという設定になっていることもあるんですよ。

陰謀論には敏感だけど、こういったことは自分の利益に直接的にかかわってきますから疑わずに信じてしまうってことあるんですよね。双方根っこが非常に似ているという内容だったりする気がする。

というような心理の考察をする習慣があるものですから時々書いてしまいます。そして、もともとこの記事を書こうと思っていたところには内容が到達しておりませんので次回に続きます。