つながるって?

スピ的な「つながる」ではなくて

スピ好きな方々の「つながる」ってありますでしょ?

繋がる対象は

  • 宇宙ですか?
  • ハイヤーセルフ的な何かですか?
  • 自分につながるという言葉の使い方もありますね。

他になにがあるかな?

  • 神?
  • ワンネス的ななにか?

多分もっとありそうですが、今回はそういう話ではありません。

 

いや、私も過去、上記のアレコレに「つながる」というようなことを書いているかもしれません。すぐに思い出せませんが、あったかもしれない。

 

しかし今回はそういう話ではありません。

こんな画像も創れました。AIすごいわ。

ヒトとつながる

著作権がありますので、部分引用とさせていただきますが、

とある書籍の中に

”ヒトとヒトを繋ぐのは信頼と敬意”

という一文がありました。

LeejoannによるPixabayからの画像

 

(ヒトとヒトを繋ぐのは信頼と敬意であり、)愛とか恋ではないという補足もあったように記憶しています。

つながらないのは

この一文を耳にしたときに、

ということは、

  • コントロール欲が強いとか、
  • 相手を自分の思うように動かしたいとか、
  • 自分のルールだけを押し付けるとか
  • 依存による逆(?)支配とか
  • 自分に依存させて自分の価値を保ち、相手が自分から離れていかないようにするとか

書いたらキリがないあれやこれやによって

結果、そのご本人から人とのつながりを断つ。なんて考え方もできるし、そうやって人とのつながりを失うことで一層他者や何かいろんなものにすがりつくというマッチポンプが成立する。

 

確かに上に書いたような展開には、相手の方への敬意は感じられないかもね。

 

あらまぁ・・・ではあるが、全然珍しくないし、いや珍しくないどころかこういったことで社会は構成されているともいえる。

Juanita de PaolaによるPixabayからの画像

 

そうか、だから「つながりたい」のか

ここまで書いてきて、そうか、だからスピ的な「つながり」を得て安心したいのか。

ヒトとつながらないなら、ヒト以外とつながろう!と。

 

わかりますよね。

これは私にはわかる。わかるのは「ヒト以外とつながりたい」の部分ではなくて、「ヒトとはつながれない」と実感したときの虚無感の方です。

つらいこと、なにかと経験をする際に、人間不信になるのは珍しくないし、なかなかヒトに恵まれないような気分になる時ってある。

それはあなたが自分で引き寄せてますよとしたり顔で言われて腹が立つことだってあるし。自分でその状態を招いていたって、腹も立つし悲しかったりしますよ。

 

信頼と敬意って、その言葉と実際の行動や感覚ってニュアンス、イメージ先行だったりする。簡単に見える、感じるものって案外難しいんだよね。

私の場合

誰もが通るようなコースはたいてい通った私ですし、なんならちょっと激しいコースだったかもしれない期間もありましたが、今は「つながり」への渇望はありません。やはり生きていると期待はしてしまうのですが、(おっと、凝りもせず 私ったらまた)と気が付くようにしているつもりです。

 

理由は、・・・う~~ん、そうですね・・・昔コラムやもう閉鎖した不思議な体験系を集めたサイトに書いたことがありますが、妙な、怪しげな思想を採用するのをやめたからかもしれない。それがスピ系ともいえる。至極もっともで有難い大切な話だという触れ込みでも採用するのをやめた。ありがたい方の話でも。

世の中にはいろんな意見がある。それを採用するかどうかは理屈や理論もゆっくり考えますし、違和感も大切にしています。

 

が、それらを断ったら今回生命がある間はずっとあるだろうと信じてしまうような独特な安心感や愛を得た。得たというか、そういう感覚を感じて、そのあとも今日現在までずっとあるという感じですし、この先もあるといいなって思ってる。

言い方を変えれば、「つながり」というようなものを失う不安や心配が無いということでしょうか。「つながり」というようなナニかを維持するために努力しなければならないとか、義務があるとか、そういった考えが無い。いや、無くなった。

 

今は無い。が正しいのかな。

 

「つながり」というしばりが無い。と書くと不思議な表現ですが。

 

ある日から、絶対的な愛を感じ続けていて、今回の生命の灯が消えるまでこれは続くと思っています。いや、こういった感覚はありがたい僥倖なので自分でコントロールできるかどうかもわかりませんので、「続くといいなぁ」と思っている。

ただただありがたいことだと思っています。

 

現実問題としてナニかあっても、それとこれは別。

だから無条件というか、しばりがないというか、因果関係とかの領域外というか。

VIJAYBBN MACWANによるPixabayからの画像

 

愛は?

  • 自分流に愛する。
  • 私の愛し方はこれ。
  • このようにしか愛せない。

というのもこの書籍の一文的には「ヒトとつながる」とは限らないようですね。

  • 甘えることが愛すること

という価値観の方がいたら、相手がそれを信頼とも敬意とも受け取らず、ただその方のさみしさを埋めるために利用されているような気がするってこともありえます。甘えられている方が、自分に対する敬意や信頼を感じないってことでしょうか。甘えている側が相手に敬意や信頼を持っているのなら、別のコミュニケーション方法を試してみてもいいかもです。相手にそれが通じていないのならば、ですが。

こういったことにも相性があるといえるのでしょうか?

 

1年2年はそれでもいいだろうけど、長期間のつきあいとなると関係性に変化が訪れることもありそうです。

Cheryl HoltによるPixabayからの画像

赤ちゃんには、甘えようという意図はなく、ただその存在に傍が愛を感じて愛してしまうということでしょうか。赤ちゃんには「甘えることが愛すること」というような価値観は無さそうです。

つながるって抽象的

言葉って、言葉を知っているとその内容までわかったつもりになってしまいがちですが、そもそも「つながる」って抽象的ですよね。

だからというわけではありませんが、

ヒトやその他の何かと「つながれば安心できる」と思っているのなら、あなたの持つ不足感や寂しさ、不安についてしっかり考えた方がその状態から脱するのが早いかもしれません。

そしてストレスケアをする。(私はしつこく自分のストレスケアを行いました)

 

「つながる」ためのテクニックに没頭しますと、あちらこちらが結構こじれてくることもあるようにお見受けします。こじれたって人生経験の1つだから大したことじゃないとも言えますが。

 

自分の持つ不足感や寂しさ、不安についてしっかり考えてみる。こちらがよく「土台」と言われている分野だったりするようなので。

そしてこの土台を整える際に、ストレスケアってとても良いです。

Gordon JohnsonによるPixabayからの画像