本を聴く

Amazonオーディブル

何度も書いていますが、本を聴いています。

好きな本が残念ながら聞き続けられないナレーションの時もあるし、まるきり知らなかった本が素敵なナレーターさんとの出会いで内容が楽しめたりします。

 

ぼそぼそと小さい声の録音だと、いや、小さい声のナレーションならばそもそも録音のボリュームを大きくしてくれたら良くない?などと思って聴くのをやめたりする。

Thomas WolterによるPixabayからの画像

 

声の好みにも影響されるし、喋り方、語り方、話し方、イントネーションなど想像以上にしっくりくるものがないのに驚いている。内容が頭に入ってこない。興味をもって聞くことに集中できるものが少ない。

 

聴くコンテンツの探し方が下手なのか?、私の好みの幅が狭すぎるのか? この方の作品は外れがないというお気に入りのナレーターさんを見つけるのが先かもしれないが。

聴覚の重要性

映像がないと、ものすごくクッキリと浮き上がってくるものがあるんですね。ラジオとは違う。会話でもない。ご本人の熱量云々がアジになる語りでもない。

 

ナレーターさんその人の特徴が出ない方が聞きやすい?

朗読界にも、「本当は」とか、ルールとか、好み・こだわりがあるのも聞いたことがあるけれど、行う方のルールではなくて、聴いている側の嗜好と一致して「物語」が楽しめたらそれでいい。

(朗読がお得意なんだろうな。と感じるような方が読む「物語」がとても癖があって聞き続けられなかったこともあった。癖が耳について物語が頭に入ってこなかった。本の内容と読む側のスキルの不一致なだけだろう。)

 

朗読の常識に従わなくてもOK!みたいな感じがオーディブルの良さだと思っている。

自由さというか、創作というか。

朗読やナレーションではなくて、オーディブルというジャンルであるというような感じでしょうか?

 

でも、ベテランさんはどのジャンルに分類されようがお上手としみじみ感じるようなナレーターさんもいらっしゃる。

そんな方と出会うと、本当に本を聴くのがの楽しいし、どんどん聞きたくなるし、クセになる。

視覚を伴わない分、今までほとんど?あまり?使われなかった「脳のある場所」を使っている感覚がある。

脳の「とある一か所」ではなくて、バイパス具合、連携具合が新鮮な感じがする。

ただの気のせいかもしれないが。

ddzphotoによるPixabayからの画像

素人の私はただ尊敬している

私は過去講座を開催してきましたが、動く私、ワークを行いながら聞く環境、ホワイトボードなど、視覚情報や体感覚が伴っていたからなんとかなっただけで、声やしゃべり方などなどを仕事にはできないのは自分が一番よくわかっている。

ラジオも「正しい話し方」ではなくて、対話や語りだったし、滑舌も歯列矯正中でますます欠点が露出したからお休みを決めたし。

 

自分を基に考えると、ナレーションってすごいな~って心から尊敬しています。

Andrzej RembowskiによるPixabayからの画像