出会いと別れ

変化しないものはない

沖縄に住んでいると、金属疲労(酸化)も目に見えるスピードで進んでいることを実感する。時代も変わる。

 

愛は変化するだろうか? 変わらない愛はあるだろうか?

 

年々「刹那」という言葉を体感するような気になる。

出会って、別れがあって、別れに伴う様々な想い、感情があって、出会いの喜びも別れの悲しさもそれすらも刹那だったりする。

 

これらを刹那とするのも自分、永遠だとするのも自分。

 

前述したようなことを、

  • 他人様とのお別れと、
  • 自分が続けてきたラジオ(一旦お休み)やセッション(今のところ2025年5月末まで)を一旦休むことになった時に

再度思った。

 

これまでも一期一会も含めて出会いと別れの連続だったし、今後も生きている限りは同じです。

LeejoannによるPixabayからの画像

 

依存と執着

続けますか?続けられますか?続けたいですか?

依存と執着がご本人の苦しみに多大なる影響を引き起こしている場合、違う表現として「刹那嫌い」と書いたらめちゃんこ怒られるだろうか?

どうやら刹那という時間感覚こそ個々によるようなので私にとっての10年が、誰かの100年ということもあるようだ。その逆もある。

 

脳内や皮膚感の時間感覚ってヒトそれぞれ。時計の時間は共通として確認しやすいけれども、刹那とかになっちゃうと指標がない。

Wolfgang EckertによるPixabayからの画像

 

時間や空間の認知についてコラムもいろいろ書いています

その時なりに一生懸命に文章を書いているんですが、読み返したときに(なんのことやらサッパリわからん)と残念に思ったことも少なからずあります。

申し訳ないです。(-_-)

 

人生の感じ方のクセ。 あなたの意識がある次元(空間・時間)とは? | 心体カウンセラー 武田美紀|沖縄の心理カウンセラーによるカウンセリング相談

 

アダルトチルドレンや共依存、〇〇障害で起きている脳内ループ、スリップ | 心体カウンセラー 武田美紀|沖縄の心理カウンセラーによるカウンセリング相談

 

 

別れのさびしさ以上のもの

「お値段以上ニトリ」というコマーシャルがあったが、別れの寂しさ以上に「出会いの喜び」「感謝の念」を持つこともある。

私はおそらくとても恵まれていて、この「出会いの喜び」「感謝の念」にも意識を向けることができる。感性なのか、脳内変換能力なのか、理性の力なのか、単純なのか、どこから由来しているのか断定できないけれども。

 

恨み節で一生を終えるのは嫌だ! と心底思わせてくれた大人達との出会いにだってそれこそ感謝だ。

最近も

沢山の深い話をしたわけではなく、他人様にはこれまで言わなかった私の体験談の1つと、まぁざっくりとした家族関係を簡単に話した相手から「あなたは強い人だ」というようなことを言われました。最近の話です。

私の中ではもうとっくに完了している過去の出来事だし、刹那タイム終了案件でした。とある質問にたいして、その答えの理由を伝えたにすぎません。

しかし、ここまで来たら一生誰にも話さないだろうと思っていた体験談だったので、それを相手に話したということは私が心をゆるしているのだろうと自分で気が付いたわけですが、そういう意味でも大変ありがたい出会いだったわけですよね。嘘を言わなくても、「本当のことを言わない」という選択肢もあったのでしょうが、どちらも頭に浮かばなかったし、正直に伝えた自分が楽だった。

私が強いのか、ただただ刹那タイムを自覚できやすい体質なのかはわかりませんが、苦しむという「駅」を通過したことは確かです。ですから、回復までのステップというものはやはり踏んできたんですね。

 

mcmurryjulieによるPixabayからの画像

 

続けたいもの、続けたくないもの

続けたくても続かないものもあれば、続けたくないけれども続ける以外選択できる気がしないものや、続けられるけれども潮時だと判断するものもあったりします。

 

  • 自分だけじゃどうにもならないもの、
  • 自分の判断によるもの、

人生にはいろんな種類の出来事がありますよね。

VIJAYBBN MACWANによるPixabayからの画像