善きことはカタツムリの速度ですすむ
いい言葉だなぁ
何度もブログに登場するし、実際の会話にも登場しますが、私の支えになっている言葉に
「大きく育つ木はゆっくり育つ」
がありますが、ガンジーがおっしゃったらしいこの「善きことはカタツムリの速度ですすむ」も好きです。
ついついいろんなことを焦りますが、ゆっくりしか進まないってことは「善い」という判断もできる可能性があるんだな。と一呼吸つくことができそうです。
ここからは近況報告 雑談とも言いますか?
PC
もうとっくに買い替えしていてもいいはずのPCを異常な粘り腰でまだ使っていますが、もうどんどん劣化が進んでおります。また増えた黒帯で画面がどんどん見えなくなってきています。
土俵際で粘ってもいないです。完全に土俵から落ちております。
買うつもりだったミニPCがどうやら不良品だったらしい(システムバグ????)という動画を見て、購入の先延ばしもたまには幸運を呼ぶな。などと思いましたが、もう買わないといけない。
確定申告の時期もあっという間にやってきますから、PCがないのはやばい。
心体カウンセリングについての諸作業はアホほど効率が悪くてもギリiPadやスマホで代替えできても経理作業は無理。というか、私がそれをしたくない。
買いますか。
そうなったらサッサと買わないとね。
今のは、とにかく動かないし、動いても遅すぎて効率なんて意味ないじゃんって感じですから。
帰省
体験1
他にも、東京経由で名古屋に帰省しました。
Facebookに投稿したんですが、なかなか新幹線に乗る機会がないし、もう切符を買うとかせずにSuicaでピッと新幹線改札も通れるらしいし、まぁ飛行機に乗る感じと同じみたいなんで練習がてら、いつもの指定席をグリーン席にして東京から名古屋に移動したんですわ。
慣れない、珍しいことを重ねてやってみよう!ということで。
で、 私が乗ったグリーン車の車両がほとんどが外国の方でして、数ヶ月前から頭の片隅にあり続ける、1年の多くを海外で過ごすYouTuberさんのおっしゃっていた「日本がアルゼンチン化する気がしてる」を連想してしまった。
海外の街中の両替所で日本円が両替可能通貨リストから外れてる。というYouTuberさんの言葉も思い出されました。
日本はすごく強くて、日本ヤバい説とかに踊らされるのはバカだ。日本は鉄壁で本当に安心していい。
というご意見も聞いたことがあるんですよね。
時間がたてば、何がどうなっていくのか? どうなっていかないのか? も分かります。こんなことを考えたりしました。
体験2
実家といえば、私のストレスケアの宝庫でありまして、実家や親戚や環境のお陰で私は「ヒト」とか心理とか言葉とか行動とか、精神とかいろんなことを考えるに至ったんですよね。
ものすごく幸せだったら絶対に考えなかった数多くの事柄、事象。
で、まぁ今回も歴史を擦るようなことがありましたけれども、姪っ子と話をする機会があったり、まだ自分が理想や希望にこだわっていたんだと気が付かされたり、そしてそれらの引きずりをあっという間に手放したりと、
あぁ 今まで悩み、苦しみ、傷んだあれこれから逃げずにストレスケアしてきてマジで良かったとまたまた感謝の念が沸きました。
自分の人生なんだなって。
大人になって良かったなって。
何を選んで、どんな人生を送ろうが本当にご本人の自由なのですが、
- 考えることを放棄したくなることや
- 逃げたくなることや
- 自分をこんな被害者にしたのは貴方だと相手を責めたくても
それも人の心理には実際にあることだし、
気が付かないうちにあんなに嫌っていた反面教師と同じ選択をしてしまっていることだってあるし。
軌道修正というのか、人生を創造していくっていうのは、多分しっかり、ある意味ちゃんと考えたり、試行錯誤していくことのその先にあるような気がします。
- なぜその結果を過去、または今 得たのか?
- 自分のパターンによるものなのか、1回限りの偶然なのか?
- なぜ自分はそこから逃げたのか? (逃げたって良いんだけど、自分が納得してた方がいいような気がする。自分を誤魔化し続けると後々シンドクなったり同じ事を繰り返す傾向があるような気がします)
という事も考えたらなかなかシンドイ案件もあると思うんですよ。でもそこを避けずに、逃げずに考えてみることが大切な時もあるかなぁ と。
そういう意味では、強さのようなものが大切な事もありそうですね。
体験3
今回の東京、名古屋で先輩、知人、友人と何名の方とユンタクしました。それぞれ結構ちゃんとした時間でした。
で、またまた急なんですけど
前回でしたっけ? 運命の人とか、偽運命の人とか、スピ業界にはいろんなカテゴリーがあり、それも個々がラベルを貼って分類していたりしますでしょ? という類の話を書きました。
ビビッと感じるという表現の方もいるし、ロマンチックな感情とか、運命の人ストーリーに乗っかるとか、郷愁を感じたとか、出会い方とか始まり方は色々あるんでしょうけど、
バカみたいなことを書くと、仲良く続いた人がロマンチックな運命の人だったという結果論で良いんじゃね?と思ったりしてるんですよ。
いや別に短期間でもそれでご自身が満足、納得されていたら良いんでしょうから、そういう意味でも結果論だったということで良いかなって。
全然ピンと来ないけど、なんだか付き合い始めて、お互い老人になって、結果あぁこの人でよかったんだなって添い遂げちゃったんなら運命の人ですよね? 全然ピンときたことないけど! でも信頼してるっていうんなら素晴らしい相性だと思いますけど。
というこれはあくまで一例ですけど、始まりとかスタート時に浮かれたり熱病みたくなるのは、別に普通のことのような気がしますし、別に運命の人というタイトルやストーリーがなくても仲良くしたら良いじゃんって。
偽運命の人と思えるような人とどえらいシンドイ出来事があっても、その体験を自分の人生により良くなるような反映のさせ方をしたら、偽とかなんとかって冠がなくたって、「苦くてキツくて嫌な体験、経験の一つだったけれども、あの出来事で自分のことが良くわかったわ。」として忘れていけば良いじゃんって。
同じことを繰り返さなきゃ良いし、もし繰り返しちゃったら、その次にもう同じことをしない工夫をしたら良いじゃんって。
そんなことを書きたくなりました。
とりとめのない話でしたが、ちょっと書いておこうと思いました。