伝説って!?
私に無かった価値観
上にリンクをはった前回の記事に
”例えば、伝説になりたい!と私が思うような場合は”
という文章を書きました。
実はこれ、10年近く前に知人が発した言葉です。
その方が言ったのは、「簡単にうまくいったら伝説にならないじゃん」というようなセリフでした。
(へぇ~)って思った
このセリフは私にとってとても新鮮でした。
(へぇ~伝説になるっていう価値観なんだ!)と思ったし、わたくし普通に会社員などの経験もあるものですから「組織のコマ」みたいな感覚ってあって、これは全然無自覚でも何でもなくてしっかり自覚している分野のことです。
組織のコマ、社会のコマ、組織の一部、社会の一部という感覚です。たとえ私が活躍したとしてもそれで世に名前が出ることは無いだろうという認識だったり、
伝説ってどこで言い伝えられる伝説?という視点に立つと、1つの会社に10年超えで在籍したことがないので、私がいくら優秀な社員であっても、ヒトの記憶に残るのは長くてせいぜい数年。誰がやめても会社は回っていくし、ヒトは辞めた自分のことを忘れていくということも知っています。
ですから、「伝説になる」「伝説になりたい」という欲求が無かった。そういう観念がなかった。
「伝説とはどこかの誰かのお話」という距離感でした。
伝説
承認欲求はあっても、それを「伝説」級ほど欲していなかったと言えるのかもしれません。賛美されたら嬉しいし、心地よいでしょうが、伝説級ほどの賛美を求めていないという書き方が近いでしょうか? どうでしょう。
ですけれど、これらは自己卑下に起因するというよりも、冷静な状況判断によるものだと思っています。
ですから、こんな私に(へぇ~伝説!? そういう価値観!)ととっても新鮮だったのを10年経った今でも覚えていますから、今となっては(そうね、人生先のことはわからないから、なにか良い方面の伝説に加わったら楽しいかもね)などと思って(生きているうちに何があるかわからないもんね)類に分類しています。
ですから「伝説になるぞ! うぉー!」という感覚ではなくて、今日現在の人生の心地よさを過去想像していなかったけれども現実になったという、「人生にこういうミラクルって起きるのね~」という軽い感じ。軽いというか、受け身と言うか、自分にできることは積み重ねることだけで結果まではコントロールできないというか。
Life is a miracle.
自己顕示欲とか承認欲求というよりも、
Life is a miracle.
というような意味合いです。
Life is wonderful.
という感じ。
ついつい忘れちゃうけどね
私たちってややもすると、気が付けば生きていることや毎日がミラクルなのにそれを忘れますでしょ? 悩みに夢中になると「身の回りに起きているありがたいこと」を軽んじますでしょ?
それにまた、伝説って他者が判定すると思うんですよ。他者の価値観の集大成的な意味もあるとするならば、先述していますが、伝説になるという価値観も自己顕示欲とか承認欲求もそれもやはり人間だなぁと。
寄る辺無さ
過去にもこの言葉を多く用いましたが、この言葉を発明した人は天才だと思う。
こういった「寄る辺ない」という感覚を自覚していてもいなくても、多くの争いや悩み、もめごと、ストレス、感情・精神の不安定、勘違いの土台になっておりますね。と言いたくなります。
皆様の人生に健康と笑い声がありますように。