人間は、自分の第一印象を訂正することが嫌いだそうだ。
だから、年月を経てのその後を検証するなどということを好む方が珍しいらしい。
第一印象が正しかったと信じたいので、
信じ続けられるように情報を補正したいそうだ。
そりゃあ、自分が信じていたものが違っていたとなるとガッカリする。勝手にそう思い込んだのは自分でもやはり最初はガッカリ感を感じる。
私もかなりガッカリしたことがそれなりに多いが、そのおかげで鵜呑みはイカンナ。などと学習したし、
あぁ私は信じたい物事を信じ続けたいという欲求よりも、
信じていたものがもしも変容していくのならその変容の様を知りたいという欲求や
自分が変わったのなら、どんな風に変化を遂げたのかを知りたいという欲求の方が優先することが多いのかもしれないな。と思うようになった。
以前も書いたことがあるけれど
「あんたには執念が足りない。諦めが早すぎる」と学校の先生に言われたことがあって
それがショックと言うより、(そうなんだよな~)とその指摘眼に同意したことがある。
当時こんな口調は存在していなかったが
(そうなんっすよ、先生。 自分も困ってるっす)と言いたいほど、その通りなご指摘に感じた。
諦めちゃう理由なども、私なりに大変なことがあって、日頃の我慢がプチっと弾けて、それもわかって欲しいというような気持も込めて返答もしたのだが
「甘い」と一刀両断だった。
「あんたより大変な子だっている。」という事だった。(その時は知らなかったが、確かに大変な子がいたことを後から知った)
いやぁ~あの先生は私には良かった。
私の不満・苦しみなんて他人は言い訳としかとらえない。あんたは甘いんだ。という一言で終わるんだな。というあのバッサリ感。
私にはあーゆー言い方が良かったんだと思う。(社会は厳しいもんだな。人生は自分持ちだなぁ。と思ったもんねー (笑))
私は可哀想なんだから、他人はそれを理解して私に優しくすべき。なんてのは軽~~~い風に飛ばされる程度のことなんだな。甘ちゃんだな。と思えたのは良かった。
興味のないことに執念が持てない。
当たり前なんだけど、自分が一体ナニに興味があるのかイマイチ ピンときていない時代など ピンとくるものが現れないと、(私はこのまま一生 執念がないままに過ごしていくのだろうか? なんだかそれも大きく欠落しているような気がするが)と思っていた。
そんなことを思っていた時代ですら、本は読んでいた。
難解なものも、なんだかよくわかっていないものの とりあえず投げ出さず最後まで読む。目を通す。という執念はあった。(笑)
いや、執念じゃなくて、我慢強さを培ったのかもしれない。
一旦読み始めた本を途中で投げ出すというのは嫌だったので、今となっては読んでも理解できているとは思えないような本もあきらめずに読み終えていたというのは、意地か。
が、学校の先生は私が読書が好きなどという事は知らなかったし、私もずっと同じ部活を続けたわけでもないし、(執念あります!) という意識もないものだから、執念が無いと言われたら(そうなんだよな~)と素直に受け止めていた。
ある意味、「執念が無い=続かない」というのが、何かを続けているヒトを見た時に(凄いよな~)(私にはできないんだよな~)という引け目にも繋がっていたように思う。
しかし、まぁ、生き抜いていく以外無いしな~ それは(その時、その時の)今は出来ているから良しとするか。とゆるく折り合いをつけてきたようだ。
しかし、ある日気がついたことがあった。
執念が無くても、続けることが苦にならないジャンルのことが自分にあることに。
というか、「執念」と「続ける」ということは私にとっては全然性質が異なっており、
続けていることの方が車のギアで言うと 軽い。
だから、自分にも負担がないので 続く。というサイクルのようだ。
ちょっとしたことなら続いてしまうので、
習慣になったのち、(これ必要?)と改めて検証して
あえて習慣化した行動をやめることもある。
例えば、3か月くらい続けて、3か月後に3か月前と比べてみて(今どうよ?)という自問自答をしたりする。
- もう少し続ける
- 1年後にまた検証する
- 自然消滅するまでやってみる
とか、いう感じて、検証と言うか、観測したりする。
天体観測のような、じぶん観測だ。
ですから「執念がないとダメ」という言葉や常識?の方が私には合わなかった。
しかし、「執念深く行動を続けて」夢や希望を叶えて、結果を出している方の方が多いんだと思う。
こんな風にじぶん観測をしてきて思う事は、
自分の生き易さって最初から答えを探すもんじゃなくて
いろいろやってみて、傾向がわかってくるような類のことだと思う。
そのいろいろやってみる際に、
他人様のやり方を真似しようとして上手くいく時もあれば、全然上手くいかない時もあるなんてことは当たり前で、
上手くいかないことにフォーカスするよりも
「自分」にフォーカスして、答えではなくて「傾向」をあぶりだしていく方が建設的だと思う。
そのやり方すら、「自分に合うやり方」をあぶりだしていくと思っていた方が楽だ。
答えが無い、答えが無い、
できない、自分にはできない。と考えていてモヤモヤしているより健康的だし、視野が広角だと思える。
そのモヤモヤこそストレスケアした方がいい。なぜモヤモヤするのか自分を見つめてもいいと思う。
合理的。
ですから、
検証に興味がないと、今日の御提案はお役に立ちにくいだろう。
そもそも、試してみないと向くか向かないかわからないことって多いけど
試すこともしないのならその先に何を期待できるのだろうか?
そんな場合は、たくさん本を読んだり、ヒト様と対話して
「ではどんな方法が自分に向いているのか?」のヒントを得ることをお薦めします。
なにか1つ、それらしい方法が向かないからと言って
落ち込む必要も、イライラする必要もないですよね。
他人(他人のやり方)をコピーできないことがストレスにお感じになるのかもしれないが、私もそれが執念のシーンでできないから同調とコピーを諦めたわけですよ。
その代りに
数打って 当てていく、という方法もあるなぁ という考えに現在は至っています。
急がない、焦らないことも大切ですね(^^)
焦った時にはストレスケア、イライラしてもストレスケアをそんな時こそどうぞ。
直ぐに答えが欲しい方は、
おそらく私のコラムもブログもあなたのお役には立てないと思う。
あなたに向いている書籍や動画などに出会えることを願っています。
また、私のご提供していることでイライラしたり、なんか腹立つ。と思われる方は無理して読んで頂かない方が良いと思っています。
私がもし作家だとしたら、書いたものを読んでいるとイライラするならお金出して書籍を買いませんでしょ?(買いますか?)
無料だから読んで下さっている方が殆どだと思いますが、無料だからと言ってイライラするものを読むのは時間の無駄です。
もし私が相談者さんに「あの人のブログやコラムを読むとイライラするんです。」とお聞きしたら、「読むことをしばらく、もしくは今後長期的にやめるという選択肢はありますか?」と質問しますよ。
もし、「武田さんならどうするんですか?」と質問されたら、「読みません」と答えるし。
私が世紀の大発見をすることはまずないだろうし、
多数派でもないし
権威でもないし
何度も書きますが、正解でも法則でもないです。
読まなくても何の脅威もありませんよ。
読まないことが損にならないですよ。
知らなければ、損も得もないんだから。
そして、私のコラムをめっちゃ周りの方に薦めてくださっている方も存じ上げませんし。
「読んでますよ!」と爽やかに教えてくださったのも、女性数名のみですし。
Facebookなどにコラムやブログのシェアをするのだが、それに いいね を押してくださる方も固定のありがた~~~い数名の方のみですし。
ですが、これらとは全く連動しないホームページの訪問者数と滞在時間。これも私のご提供している情報の特徴だとただそのままを鵜呑みにさせていただいています。
ホームページをご愛顧頂きありがとうございます(^^)
どうぞストレスケアをして過ごしやすい日々を送ってください。
そして、どうぞ何かありましたら書いた本人の私へお知らせください(笑)
ご予約承っております。
個人セッションでそのあたりをストレスケアするとともに、ご意見を拝聴します。
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