起きたあと
もう全くタイトルとは異なる話からスタートしますが、
私はダイゴ(千鳥さんではなくて、メンタリストと名乗っていらっしゃる方)さんの著作も読まず、YouTubeも昔1回?2回?見て以来 遠ざかっている。
そして、近づくつもりもなかった。
有名なのはもちろん存じ上げているし、著作がベストセラーのようだ。という事も存じている。
ダイゴさんを否定する情報も根拠も私にはないので、ただ、今のところ吸引されていないというだけであろう。
ダイゴさんがおっしゃるところの、「自分に興味がない人は要らない。興味がある方だけ対象にしていく」という至極ごもっともなお考えで言うところの
私は「要らない」側となっているが
こんな私が、ヒョイっと数十分動画を拝見した。
おぉ~久しぶり。お変わりありませんね。という感じだ。
この数十分の動画視聴で、
A 1回私は ハハハ と思わず笑い、
B また別に、お1人の書き込みをメモした。
C とあるダイゴさんの書き込み?質問?への返しに(私が今まで持っていた印象を刷新または上書きしてみようか)と感じた。
で、今日、今からは、Aとタイトルの関連性について書きます。
ハハハ と笑ったのは、
視聴者さんが、ダイゴさんに「自分の次のステージが分からない。だか、どう設定したら良いんでしょうか?」というような質問に、
あーもう ステージとか言いだすヒトがいるんですよ。とつぶやいた後、
ステージなんて(考え方は全然いら)ない。ということをおっしゃって、その次に「そういうことじゃなくて、(具体的に事例を揚げて)〇〇する」というような内容をお話になっていた気がするが、ながら作業をしていたため聞き逃した。
朝一の外出
私はここまで聞いて、朝のサポートに出かけたのですが
その道すがら、
やっぱり耳馴染みがやけに良い思想はあっと言う間に固定観念へ昇華する確率が高いんだろうな。などと考えていた。
ステージと言う固定観念が脳内に定着した瞬間、これを上手く乗り切る?爽やかに昇級するテクニックを知りたいという「ある意味の法則思考」「法則を優秀に使いこなしたい」欲望とのワンパッケージ化とでも書いてみたい。
完パケで納品ヨロシク。
という欲望だろうか。
なぜこんなことを書けるのかと言うと、私もこの「ステージ」という耳馴染み(脳馴染み?)の良い思想を最初に聴いた時に(そうなんだ)と思ったし、しばらくは欲望完パケセットの渦中に入ったからだ。
しかし、それが段々(ナニコレ?)(これって一体なにがどうなって、こんなことになったんだっけ?)と違和感を感じた故に離脱したに過ぎない。
ですから、経験をしたうえでの「ステージなんてない派」だからです。
と、いうことを考えて、現場に到着して、ちびっ子の姿を見て、考えていたことなどすっかり忘れて「おはよう!」とウキウキしたわけです。
ニコニコ笑いながら登場したちびっ子は4月に入ってからターボがかかったように成長している。
3月はまだ、赤ちゃんの方がまだ距離が近かったイメージでしたが、4月に入ったらいきなり幼児になった。
理解することも、実際の動きも、一気に増えたし、なにより目の輝きが変わった。
焦点が合った。というか
環境への反射ではなくて確立した意志が働いているんだろう。と思わせるような目の輝きを感じる。
(大人が必ずこのような目の輝きをもってるとは限らない)
そして、まだ言葉をはっきり発することはできないが、あちこちを指さしていろいろと(幼児語を)発言する量が格段に増えた。
その日を境に、私ともアイコンタクトで意志が伝わる度合いが増した。
ある意味では、もう大人になった。
認識量が急勾配で右肩上がりだ。脳内の神経が一気に連結されてきた様が透けて見えるような気がする。
こちらのちびっ子君は、「朝武田に会ったら、先ずはこうして、次はこうなって」と、一連の段取りを理解しているため、私は言葉はかけるし、安全は見守っているが、彼が自分で出来ることには今まで以上に手を出さなくなった。彼も出来ると思って取り組んでいることに手を出されるのを嫌う。時間がかかっても私にはなんの支障もないので、彼の「やりたい」「理解したい」ということを優先して見守っている。
彼は理解のスピードが驚くほど速いが、このスピード感はお子さんによって違う。(それは大人も同じ事です。)
スピードではなくて、そのご本人が理解するということを重要視するならば、アプローチも様々だろうし、ターボがかかる時期も様々だろう。
動画と外出先の出来事によって
と、ここまで書いて、冒頭の話を引っ張ってきますが、
「観念」というものを手に入れた時に止まる成長があるのかもしれない。と思った。
なんでもかんでもじゃないんですが、情報や知識を手に入れれば入れるほど止まる成長のジャンルがあるんじゃないかと実感したような気がしたんですよね。
(皆じゃないけど、割合は多いような気がする。人間の普遍のテーマなのかもしれない。)
自分のスピード感や、理解しやすい方法を模索するよりも
テクニック重視、法則?重視、教えや思想重視ということになると、実は成長が止まっているというような事があるのかもしれない。
情報や知識が大量でも、成長というか、脳内の神経の連結が促進されない。というような意味合いなのですが。
観念が、一種の「欲」とワンセットになっていて、事態をややこしくするというようなことってあるんだろうな~と考えたという話でした。
また話題は別の方向へ枝を伸ばしますが
以前、私はステージなんてない派だという記事を書いた。
私がこういう発言をすると「ふん!」と思う方は居る。
あなたより偉い方が(ステージが)あるって言ってたよ。と思う事もあると思う。
「ふん!」と思っていた方でも、ダイゴさんから同じことを聞いた時には「なるほど!」と思う方も居るだろうし、引き続き「ふん!」と思う方も居るでしょう。
では、ブッダが言ったとか、お釈迦様が言ったとかならどう思うでしょうか?
と改めて考えてみた時に、(耳を貸す、貸さないの違いは、)
「ふん!」と思う相手をどう思っているのかに過ぎないな。と改めて思いました。
武田のことは聞きたくないが、
ダイゴさんの言う事は聞く。
又は、ブッダや釈迦の話は信じる。とか。
簡単に言うと、武田に対する信頼が無いだけの話です。
そして、私が書くのもなんですが、要するにそれで良いと思っています。
ご本人が信頼したいことを信頼するのだから。
大した人間関係も構築していないのに、
私を信頼して!というほど厚かましくないつもりだ。
だからこそ(そりゃあ ふん! って思うわな)と同感した。
同じ体験を私も何度がしたことがあるからこそ(そりゃあ ふん! って思うよね)と同感しましたよ。(笑)
同じ話も、聴く相手によるということってありますよね。
勿論私にもある。
と、ここまで考えて、
私が何を言おうが、書こうが、聞きたくなければ「フン!」と思えば良いだけのことで、自分の価値感や好みで創った自分の世界はなんにも揺らがないということですね。
ダイゴさんじゃないけど、あなたの人生に武田が要らないと思えば自然に排除されていくことでしょう。
それで良いと思う。
ご本人の人生には、ご本人が大切に思う事が残っていく事でしょう。
だって、私もシンプルに軽やかになりたかったら、信頼していないとか、もう要らないと判断したものは自然淘汰されていくもの。
かえって、「ふん!」と思ったという事は、なにかが反応しているということですから、ご当人がストレスケアをされたら感じた不快感は終わるでしょう。
こういったことを含めての
ダイゴさんの「ステージなんて(考え方は要ら)ない」というご意見だろうと勝手に私は理解しました。
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