気がついたら私は福祉に関わっていた。
関わった後、「私のやっていることは福祉というカテゴリーのことなんだ!」と気がつく有様だったが、お陰様で有意義です。
楽しいこと以外にも、「う~~ん・・・」と思う事もあるが
心体カウンセリング™ を行う心体カウンセラー™ ということを
私自身は「相談業・サポート業」と思っているので
「ヒトとヒト」という意味では心理も健康も福祉もひっくるめて一緒。
しかし、いかんせん福祉の「当たり前」を知らないという自分にも始終出会う。
車いすの介助の仕方はもちろん、
車いすの操作も知らない。
だから、直接ご本人に「次はどうしたら良いのか?」「どこをどうしたら良いのか?」と訊ねることにしている。
やってあげるという感覚も無いが、言われた事はわかる。言われないことを察するレベルには無い。
状況がどうにせよ、あんまりものを考えてなくて、過剰な遠慮もしていない自分に気がつく時がある。
フラットと言えばそうだが、
今の私の応対法は好みがわかれるだろうという認識はある。
これでいい!とも思っていないし、万人に通用するともサラサラ思っていないが、私が今接する範囲の方は気楽に思ってくれているようで、だんだんお人柄が現れてきてお喋りしていて楽しい。
ある日、私自身も、皆さんのことを、友達か親戚みたいな感覚でいることに気がついた。
すると、この映画の若者のようなこととちょっと似てるなと感じる出来事があった。
それは、Bさんを特別扱いしなかったことを、あれはあれで良かっただろうか?と自分の対応を振り返ったことがあったんだけど
不思議な事に、人間対人間で ちょっと本音を言い合ったその後
Bさんの車いすを押したら「走ってみて! もっと早く!(笑)」とご本人が笑っておっしゃった。
私は車いすを後ろから押しているから、この方の顔は見えていないが
その声で笑っているのを感じた。
勝手に深読みしたら
ちょっと本音を言い合った時にBさんが私に言ったこと(やつあたり風味と言えば少しそうだった)を無かったことにしたかったのかもしれない。
帳消しのサインだったかもしれない。
私は私で、やつあたり風味に対して自分の主張もして、特に我慢もしていなかったし、用件が済んだ時点でとっくに終わったことになっていた。
加えて、
この件の後、こんなやり取りなんてチッポケだと思えるまた別の展開があり益々忘れてた。
アレが、仲直りのサインでも、そうじゃなくても、やっぱりBさんのことを友達か親戚みたいに感じるんだよな~と自分ことについても深く反省できない不思議さもあったんですよね。
これまた物凄いナイスなタイミングでこの映画をそのあと観たものだから
「あ! 似てる!」と感じた。
ケースバイケースだから
ヒトとヒトの関係に正解はない。
正解のないことにどう関わっていくのか?
興味は尽きまじ。
Mylene2401によるPixabayからの画像
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