先日ご紹介した書籍のなかに登場した「耳石」
今日はこれについて書いて行きます。
まずは耳石についてWikipediaのリンクを貼ります。
私は以前から、キネシオロジーテストをする際に
聴覚を使っている自覚があります。
自覚はあるけど、その感覚が正しいかどうかは別なんだけどね。
また、
昨日の記事のような、ググっと集中する時にも
(それが カウンセリング際に話を伺う時に
当たり前に聴覚を使うのとは別に、)
一層集中する時など、聴覚にターボがかかる気がするときがある。
断っておきますが
あくまで、
「そんな気がする」という話ですよ。
ですから、
絶対音感という才能、感覚がないことは
私にとっては喜ばしい事です。
理由は、音感以外の情報を多く取り入れる傾向があるので、
それに絶対音感まで加わると脳に負荷がかかりすぎるんじゃないかな?というただの推測です。
しかし、
絶対音感とは違うけれど、なんらかの波動?を聴いているような気がしてきています。
私は波動という言葉もあまり使わない性質なので、
なんらかの波動?を聴いているような気がしてきたという感覚すら
気がついたのは最近なんだけど。
なんというかですね、
その私が受け取っている波動の中に
その方のお話している方の、お話の背景の風景、情報が含まれているような気もする。
今日の話は、
気のせいの話と言えばそうだし
そんな感覚があるようなんですよね。という独り言とも言えます。
ホームページのコラムにも聴覚について書いています。
kinesiology.wp-x.jp
なので、
本を読んでいて、
↑ こんな時にも
ひょっとしたらなんてことのない日常でも
私の感覚のなかに、耳石とやらが結構大きく影響しているのかもね。
と想像してしまいました。
以前、海外の観光地で、人ごみの中を走る列車がありました。
結構近くで列車が汽笛を鳴らしながら近づいてきていて、皆が避けているけれど、
その中で全然気がつかずに線路の近くでお土産を眺めている同行者に、それを遠くから見ていた私の方が危機感を感じて
線路から余程離れたお店のなかから
「〇〇ちゃん! 列車が来てるから危ないよ!」と得意の大声で注意しました。
海外のなので、日本式の自分の名前を日本の発音で呼ばれるという事には同行者の耳は反応したようで、
ようやく間近に迫る列車に気がついて慌てて避けていましたが
後から考えると(出会ってからそれまでのエピソードを集積したのですが)
(あぁそうか。耳が少し遠いのかもしれないな。)とようやく気がつきました。
彼女の体質として。
そう言えば、そんなエピソードが他にもあったのを思い出しました。
ですから、自分と他人の感覚は違うことに気がつくと
ひいては自分を知ることにも繋がりますね。
また、集中すると周りのことが気がつきにくくなりますが
その集中の度合いも違うようです。
私の聴覚の話など
本を読んで思いついた理由付けかもしれないのですし、
理由があろうがなかろうが、
それが当たっていようが外れていようが
自分の身体の使い方、反応の掴み方は変わるわけじゃないから
ほんと、ただのつぶやきでスミマセン。(笑)
聴覚なども、ストレスケアで変化しますよ!
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