うむ!面白い! 地球と火星の生物?? 「ルカの方舟」

 

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火星

 

 専門的な内容なのにわかりやすい。

エビデンスも盲信は禁物

ルカの方舟 (講談社文庫)

ルカの方舟 (講談社文庫)

 

 エビデンス至上主義という考え方もどうかと思う。

そのエビデンスの根拠の論文にも意図や意志が反映されているんだから。ということを度々書きます。

 

データをどう取り扱うかということでもエビデンスの根拠も結果も変化してくるというようなこともこれまでも何度も書いてきましたが、

小説の中の専門分野の方が、データの取り扱いの際に起こりうる人的作為に、既に名称があるという事をわかりやすく伝えてくれています。

論文をまとめるのが感情のある人間である限り、良きにつけ悪しきにつけいろいろな出来事が起きます。

 

エビデンスに影響する作為とは

FFP

トリミング

クッキング

データ以外の、証拠映像の創作、改ざん

(P108辺りに記載があります)

 

そして、これを再検証することを「追試」というそうです。

 

伝える時って

専門用語で伝えた方が良いこともありますね。

専門用語を使わない方が良い時もある。

 

 

心理、精神分野について

 

そして、

ホームページのコラムで

あなたが救われたと思った時には、具体的な関係性によるものでは無かったですか?と問うたことがある。

 

私が素晴らしい教えではなく、そういったことで救いを感じたという自分の体験から書いていることですが、そういった関係性からの、傍から気がつけないような大したことが無いように思える小さな段差でも、立派な救いになると書いた。

 

kinesiology.wp-x.jp

 

この小説の中の人物も、相手は救おうとも何とも思っていない、何の気なしの一言に救われています。

 

「どうってことない言葉だと思うでしょう。でも、私はその言葉に救われたんです」-ルカの方舟 P286より引用

 

ちなみに、この小説のなかでは「もったいない」という言葉に救われたとつづられています。

 

誠実ってなんだろう?

私はとりたてて

良いこと、善いこと、佳いことなどを言おうとしなくて良いんだと思っている。

理由付けが必要な婉曲的ななにかも要らないような気がしている。

感情的な反応ではなく、コントロールしようとするのでもなく、すり替えでもなく、率直に思った事を伝えることも誠実なんじゃないかと考えている。

 

私が救われたのは、こんな事と関係していたから。

 

 

余談。今後書きたい事。

また、「耳石」という存在を知って、

また別の記事が書きたくなりましたので、機会を改めます。

 

 

丁度前回、UFOの記事をアップしましたが、

この小説の中にもちょっと登場していたかな????

 

 

takedamiki-j.hatenablog.com

 

 

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UFO

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今日のお題は、私は門外漢のUFOです。

 

私は、外出中や、家の中から外を見た時などにUFOを見たことはありません。

連れ去られた経験も多分ない。(と、思う)

 

見たけど記憶が消えてる。なんてことは、思い出しようが無いので除外しています。

 

施術中と、夢の中では、

このジャンル(UFO関係)に属するのか?どうだろう?ということはありました。

 

これらの体験により、

見たことが無くて、想像で勝手に創り上げているものとも全然違うものは

脳は映像化できないのだろう。ということも理解できた気がする。

 

認知って底なしに奥が深いですよ。

前回の記事のこちらの擬態も含めてね。

 

takedamiki-j.hatenablog.com

 

 

また、

スコトーマということを、他の事例では理解していたが

自分の体験を通して、

本当に、実際に視覚感知脳とも直結しているということを一層深く理解でした。

(ちなみに、一番最初にスコトーマという言葉を知ったのは、遥か昔に読んだ小説の中です。学生時代だったか、もう社会人だったのかは記憶がはっきりしません。)

 

 

人の視覚情報は共通じゃないということも体験として理解できた。

kinesiology.wp-x.jp

 

話を戻します。

 

UFOと遭遇する方はしょっちゅう遭遇するらしいので

私は「観る派」ではないんだろうな。と思っていて、それについて淡々とした感じです。

 

UFOを見たいという欲も薄いのかもしれない。

 

こんな私が、

自分のラジオのyoutube画像を検索していたら

ひょっこりこの動画に出会った。

 

以前、サイト「こすも」で秋山氏の動画リンクを貼りつけてご紹介したからなのか、

いつもは表示されないのに、

なんかの拍子にヒョイっと今回みたいに動画が表示される。

 

私は、田口ランディさんの書籍も何冊も読んでいますが、(一時期よく読んだ。ここのところしばらく読んでないですが、最近の出版物はこの動画の中で紹介されていました。またブログでもご紹介しますね)

ご本人のお顔などは存じ上げていなかったので

田口ランディさんはどんな風にお話されるのだろう?と興味を抱いて

このお二人の対談①、②、③を視聴した。

 

そうしたら、対談動画③の中で

UFOを見やすい人の傾向という話が始まって、

その説を「なるほど」と思って聞きました。

 

信じるか?と言えば正直わからないのだけど

否定することも無いし、否定するほどの知識も私に無いし、

諸説の中の1つだと受け止めて聞きました。

 

 

秋山眞人×田口ランディ・スペシャル対談 ③UFOについて

 

 

内容は各自で再生してご確認いただきたいのですが

人は求めるものが違うんだな。と思いましたし、

しかし、その根元は同じかも知れないなとも思った。

 

救いを求めていたり

助けを欲していたり

孤独だったり

これらがその人がどの方向性へ手を伸ばしていくのかの根源なんだろう。と。

 

 

遥か昔の私はそれが向かった方向がこちらでした。

この動画③の中の表現をお借りするならば、「光っていた」ことでしょう。(笑)

kinesiology.wp-x.jp

 

この記事の他にも、続編、関連記事を書いていますので、

興味のある方はコラム一覧から探してみてください。

 

kinesiology.wp-x.jp

 

私はこの動画③を拝見して

ちょっとUFOに興味を持つ皆さんへの印象が変わりました。

 

今まで、私自身が見た記憶も無いし、是が非でもと欲していないせいか、

体験をお聞きしても他人事でした。

他人事なのは当たり前なんですが、異世界の話を聞いている距離感があった。

 

この動画を見て、このブログを書いたら

あぁ 一緒なんだな。と思えた。

距離が縮まって、お隣さんになりました。

 

良い体験でした。

 

スコトーマを広げたい、外したい方はどうぞ個人セッションにいらしてください。

メニューは統合心体カウンセリング™ が良いです。

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恐怖の尻尾。擬態もするよ。

恐怖の尻尾

 

恐怖の尻尾はなかなかつかまらない。

「恐怖の尻尾」という比喩に、意志でもあるかのように見事に意識からすり抜けていく。

 

 

 

 

この出だしを書いたのは、

以前使っていたアメブロ時代でした。

下書きに書いたら、

ちょうど同じタイミングで「恐怖の尻尾」と表現した方の投稿がFacebookにあったため

真似したみたいになるから、いったん記事をアップするのを延期して、下書きに置いて早数か月。

いや、丸っと一年くらい経つのかも知れない。

 

そろそろ陽の目を浴びても良い頃だ。

 

尻尾のイメージ

自分で自覚できる恐怖は、その恐怖の尻尾もわかりやすい。

 

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なかなか捕まえられないのは、

こんな ↓ チョロチョロっとすばしこくて

草むらや、岩の隙間に入られるともうみつけられなくなってしまうようなイメージだ。

 

 

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恐怖

未来の恐怖

自覚しやすい恐怖と

自覚しにくい恐怖がある。

 

その恐怖って、主に未来に対して抱いている。

 

 そして、その恐怖はまだ体験していないから、

あくまで想像上、予想上、妄想上の恐怖。

 

過去に体験した恐怖を投影している恐怖。

 

過去の恐怖

その恐怖体験が実際にあったのは過去。

 

今でもリアルに思い出して、身体がふるえることもある。

記憶の恐怖は中々パワフルだから。

 

他のものに擬態化している恐怖

これがなかなか気がつきにくい。

ほんとにうまく擬態している。

 

私達の心理で言えば、

  • 理由付け
  • すり替え
  • 回避
  • 解離
  • 抵抗
  • 投影に気がつかない状態

これらが恐怖の擬態とも言えそうだ。

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海生物は擬態上手がわんさかいます。

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これは分かりやすいけど、自分のこととなると見つけにくい

 

 

 どうして、今、この記事を下書きから引っ張り出してきたかというと

4月1日配信のメルマガの中に「身の丈」という言葉を使った。

 

この言葉は

一見、美徳らしき言葉のイメージがあるし

謙虚な感じも良さそうだ。

つつましやか。というイメージを持つ方もいるだろう。

 

もう少し飛躍して、

この「身の丈」という言葉に、「足るを知る」という意味まで含んで使っている方もいそうだ。

 

しかし、

ふと気がついた。

 

制限を一旦無くしてみよう。と言いながら

身の丈を知るだの、足るを知るだのという言葉をダブルバインドと思わず使っているケースがあるな。と。

 

「身の丈」という事だって制限の一種だという考えることもできるし、

なんと、実際、私は無意識で「制限」として使っていた。

 

私の「身の丈」には「ちょっとの我慢」が含まれていた。

不満として認識するほどじゃないけど、100%満足でもない。

 

これこそ無意識だった。

海の中で見るオニダルマオコゼも、慣れてきたらすぐに見つかるけど

そういった生物自体をしらなければ見つけにくい。

 

言葉のイメージと、その言葉を使う時の自分の本質みたいなことは無意識な領域な事が本当に多い。

 

一見、綺麗。

一見、美しい。

一見、正論。

一見、わかりやすい。

 

こんなのは、割と何か別のものが擬態していることがある。

 

擬態パターンを研究している

こちらの記事に、パターンや、図形について、私の感じ方として書いた。

takedamiki-j.hatenablog.com

 

今日の例えによれば、

私は仕事など何にも関係なくても、

こういった擬態を発見することが好きなんだろうと思う。

 

探している訳じゃない。

大抵、ボーっとしている。

段取りすることがある時は少しはシャキッとしているつもりだけど、

大抵ボーっとしている最中に

「ん? なにか違和感があるな」という無意識が反応する。

 

なんで反応したのかな?と後で

その自分の反応を研究しているようだ。

 

上の写真で言えば

分かりやすい緑のカエルのような恐怖の観え方もあるし

視点、観方のテクニックが必要なオニダルマオコゼのような恐怖もある。

 

 

余談ですが、

海の中の擬態をそれはそれは上手に見つける「目」の持ち主っているんです。

私は、心理的な擬態(比喩)は割合敏感だけど、海の生物の擬態を見つけるのは得意じゃありません。

 

自分の反応に気がついた

数年前?ある方に

「恐怖をブレイクスルーしようと思います」と伝えたことがある。

具体的な案件があったわけじゃなくて、

どうやら不必要な恐怖を内包しているようだな。と自覚したからです。

 

そして、月日は流れ。

 

「恐怖をブレイクスルーしようと思います」と伝えた時よりも

本当に不必要な恐怖に反応しなくなっている。

宣言してみるもんである。(笑)

宣言した方に何かを求めていたわけじゃなくて、勝手に宣言を押し付けたような感じでしたので、申し訳なかったなと今は思っています。

 

しかし、お陰様で内包している恐怖の感覚は変わりました。

が、しかし、習慣に残っていたんですね。

 

 

経緯は端折りますが、

私の「身の丈」という意識の中、その習慣には

必要のない恐怖が残っていることに気がつきました。

 

その恐怖は別になくても良いものです。

なのに、習慣として同じ事をなぞっていた。

 

擬態上手で、かつ、すばしこくて見つけにくい恐怖の尻尾を掴んだような気持ちがしました。

 

 

このように

私は2019年4月1日配信のメルマガを書くことで、

私が己の擬態を発見することが出来ました。

 

それを読者の方にシェアしました。

 

そもそもこれには、メルマガの読者が一人もいなかったら気がつけなかった。

今回、内容はナニにしようかな~~~と珍しく中々決まらなくて

それならば。と書きはじめた内容でしたが、結果的に自分に有り難いことになりました。

 

メルマガ登録をしてくださっている皆様の存在のおかげです。

皆様には感謝しかありません。

ありがとうございます。

 

mail.os7.biz

 

 

 

 

 

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プロセスを聞いている。私は話を聴いている時になにをしているのだろう。

 

タイプ分けを否定していない。その理由は根本的な目的の違い。

カラータイプ分け

マヤ暦

数秘術

これ以外にも世の中にはいろんなタイプ分けがある。

 

否定もしないし

それがストレスケアに繋がる方もいるだろう。

 

私はそれらを利用しないと度々書いていますが、

どこが大きく違うのかな?と改めて自分を振り返ってわかった事があった。

 

 

分類された結果はあまり私には役に立たない。

チャートに従って現れた反応をバランス調整する手法にも大きなチカラを注いでいない。

 

私がなぜ対話を重視するのかと言うと

ご本人の思考のプロセスという流れを確かめたい。

話をしているクライアントの、

思考の展開、どのようにシナプスが繋がっていくのか?を聞きたいからです。

 

 

それはタイプ分けではわからない。

 

自分以外の脳内展開は聞かないとわからない。

そうなんです。思考の展開をお聞きしています。

 

だから、

・占わなくても将来を予測することと(それが割合当たるので 予知能力があるの?見えるの?と驚かれる事もあるが、あくまで自社データによるパターン予測である)

・ストレスケアのために他者の思考の展開を聴くのは

私も使っている脳の部位が違うし、使い方も違う。

 

 

それこそクライアントの話を聞いて

その思考展開を聞いて私のシナプスを繋げていくのは

そのクライアント専用の立体的な脳内地図を創ることと似てる。

 

オーダーメードだから、既にあるタイプ属性を知るのとは目的が全く別なのです。

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専用地図を創っていく

 

時間や空間も併せ持つので、

クライアント専用の脳内次元を作成してるとも言えるのかも知れない。

 

 そこに「立体」「多次元」という感覚が自然に伴っているのは想像力の領域だと思う。

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3D以上の、4D、5Dのような気もする

 

質問はしますが、正しい答えは存在しない

だから、

間違いを探すという視点で聴いているわけじゃない。

 

正しい答えもない。

 

次に何を質問しようかと思いながら話を聞いてるわけでもない。

 

専用地図を創るために不足している、話の中に登場しない箇所を聴いているとも言える。

 

 

 感性は様々ですね

世の中が

音で感じられたり

色で感じられたり

数字で感じられたりするタイプの脳があるらしい。

 

私の場合は、

パターン、図形というもので世の中が見えているのかもしれないと最近思うようになったけど、そうだとしたら、それはおそらく後天性だとは思う。

その後天性の特徴であるパターンや図形へと繋がる、ヒトの社会の出来事を記憶して、分類するということに関しては先天性なのかも知れない。

 

 

ただ、私の自社データによると

ゆっくりでも、確実にストレスケアをして進んで行く方は

地に足がついてくる。

 

慌てる場合は

足踏み期間が長くなったり

フワフワしてくる。

やってもやっても地に足がつきにくい。

 

こんな傾向が感じられる気がする。

 

時間感覚もヒトそれぞれなのであるが

そういったことも何となく感じていたことが学習することで理解が一層深まった。

 

kinesiology.wp-x.jp

 

正しい生き方の追及ではなくて

あなたのストレスケアをサポートして、

負担を減らすという事を最優先しています。

 

生き方の模索は、ストレスが減って、落ち着いてから考えた方が自分に合った選択ができるようです。

 

 

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間違ってない。大丈夫。

 

正解を求める生き方

正しい生き方をしようとする。

 

すると、当人にとっては

(当人の思う)正しいこと以外は間違いなのか?

 

 

すると、

善か悪か?

正しいか間違っているか?

ゼロか100か?

 

この辺りをことさら気にする習慣が生まれる。

 

一方、精神論ではなくて、元々こういった考え方をする脳のタイプがある。

認知バイアスと言ってもいい。

 

こういった脳のタイプ(認知のタイプ)は

思考の際に、脳内に(イラストにあるような)線が引いてあってどっちかに振り分けることを好むし、こういった説明の方が理解しやすい。

 

元々の傾向として、「様々なタイプ」「様々なケース」というグラデーションは

考え方として想像しにくいようだ。

 

 

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二極思考

おそらく、当人の思考(脳、認知)タイプでは想像力ということの優先順位が低くて、「区別する線の右か左か」「決まり」「ルール」ということが優先されている場合もあるようだ。

「区別する線の右か左か」「決まり」「ルール」に当てはめるという方が理解しやすいようだ。

 

だから、「そう言う考え方じゃないんだよ」「それは二極思考だよ」と伝えても腑に落ちにくい。

 

「二極思考だと言われた」という記憶はあっても、

「だから?」「どうしたらいいの?」「どうにかする必要あるの?」と感じたとしても無理はないのだろうと思う。

 

それによって、目に入ってくること、耳に入ってくることに、「そうじゃない!」と反応している自分にストレスがあるのか無いのかもひょっとして感じにくいのかもしれない。

 

興味の対象、反応の対象が「自分の外」に絞られていたらなおのことそうだろう。自分のストレス反応に気づくのは遅くなる。

 

優先順位が「自分の目(耳)に飛び込んでくるものへの反応、反射」の優先度が高いからね。

 

二極化思考で生きやすいのならいいじゃないか

多くの場合は、

悩みつつ、迷いつつ、試しつつ 自分と他人との相違体験を積み重ねて

自分の価値観を作り上げていくんだろうけど

価値観を作り上げていくと言う長いスパン(これを人生というのかもしれませんが)で考えることを

正しさ、正解だけにこだわると

プロセスではなくて結果のみを気にするクセがつくのかもしれない。

 

すぐに結果が欲しい。

失敗が許せないから、正解を先に知りたい。(価値観を作り上げていくプロセスという視点がないと、ただ失敗として処理される)

体験するという時間をショートカットしたい。

 

 

こういった考え方もご本人が生きやすいのなら良いも悪いも元々ないのだけれど

二極化思考の場合の多くの場合は、自分の価値観にあわないものに苛立ちを感じているように見受けられる。

 

相手(社会)に苛立ちを感じているのを自覚していないケースもあるし

自分を罰する方向に矢印が向いていることもある。

 

結局のところ、自分の生きやすさの幅を狭める結果になっていることがあるんですよね。

 

 

これもひっくるめて、行ったり来たりしながら生きていくんだろうと理解しています。

 

 

逆に、自分とは違う正解に違和感を感じて苦しい方もいる

二極化思考の方に影響を受けすぎて

相手(家族、他人)との関係でなにかと「自分が悪い」と思い込んでしまうことがある。

 

どこかで

「私が本当に悪いの?」と小さな疑問の声が上がっていても

他者(家族、他人)からの影響の方が強いと、その小さな声など吹っ飛んでしまって

(なんだか生きづらい)と思いつつ、相手の「正解」に必死に合わせようとしてしまう。

 

そしてだんだん疲れてくる。

 

そんな疲れの中でも、

「やっぱりこれはおかしい! おかしいと思う私は間違っていない!」と

吹き飛ばされていた自分の小さな声を取り戻すことがある。

 

 

間違ってない。

私は大丈夫。と思えました!

 

 

ホームページのコラムを読んで下さった方が感じたことを教えて下さいました。

 

私は記事を書いていてよかった。と思えました。

教えて頂いてありがとうございました。

感謝しています。

 

  

自分に明らかな間違いがあったとしても、

その経験がそのあと自分の血となり肉となるのかも自分次第だと私も経験をしてきた。

 

 

世の中の悩みは大きく分けて◯個。

と、◯の中に数字がいくつか入れて紹介されていますが、

バリエーションはヒトの数ほどあります。

 

ですから、

「正解」と伝えられているようなものが

そのままあなたに有効とも限らないことがあります。

また別に、あなたの「正解」を負担に思う方もいるかもしれないということもほんの少し考えてみてください。

 

そんな時に想像力をつかってみるのも素晴らしい方法だと思います。

 

個人差について

 

統計データで安全だと理由をつけられて作られた薬も、合わない方もいますでしょ?

 

そんな事が、価値観や人生観にもあると思います。

 

自分以外の考え方や価値観を鵜呑みにして、アレ?おかしいな?と思ったら、吐き出したら良いんです。

鵜呑みにしたことを間違いだとするよりも、気がついて吐き出せたことを喜ぼうじゃありませんか。

 

それに、

吐き出してスッキリしたら

自然と、私は間違ってない。大丈夫って感じるような気がしますが

皆さんはこれまでどうでしたか?

 

私も含め、

色んなことが発信されていて

情報量は物凄いことになってます。

 

頭だけじゃ無くて、自分の感じ方にも少し注目してみて下さいね。

 

自分の本音が聞こえなかったり、

自分の声が小さすぎて吹き飛んでしまいがちな方はどうぞセルフケアも生活に取り入れてください。

 

kinesiology.wp-x.jp

 

 

自分ではなかなか気がつけないけれど、不調が続いてる方は個人セッションが適しています。

 

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人生の玉突き事故 巻き込まれていたら一旦抜けてみよう

 

慣性の法則からの脱出

悩みや苦しみは関係性から生じますでしょ?

 

生まれてから死ぬまで誰とも関係を持たずに、たった一人でいたら

比較地獄も起こらない。

ナニカの規範に反するとか、反しないとかなど迷いも葛藤もないし

正義感すら持たないと思う。

承認欲求も起こらない。

 

しかし、社会に存在するから関係性が発生し

そこからさまざまな体験が起こります。

 

takedamiki-j.hatenablog.com

 

 

kinesiology.wp-x.jp

この「救いを求める時。救われたいと切に願う時」について記事を書いた後に、

血の呪縛のように感じることってまるで玉突き事故と一緒だな。と思った。

 

f:id:takedamiki-J:20190322152130j:plain

玉突き事故が起きていることに先ずは気がつくこと

世代間連鎖ってそういうことでしょ?

どこかから玉突きが生じたわけです。

 

0(ゼロ)が1(イチ)になった時があって、

その1(イチ)が形を変えたり、強さを変えたり、または同じ熱量のまま連鎖する。

 

もともと1(イチ)有った可能性もある。

 

いやいやまてよ、そういえばこんな運動の法則ってあったよね。と気がついた。

もはや、こういった世代間連鎖も、慣性の法則のようになってしまってはいまいか?

 

 

エネルギーの慣性の法則を変えるつもりでバランス調整を行う必要があるってことです。

簡単?

難しい?

 

なによりその前に、自分がどのエネルギーの慣性の法則に参加しているのか気がつかないとバランス調整も出来ないね。

 

 このような自然法則にも属していそうだ

別の物質を持ち出すならば、原子や分子ってことです。

こういった反応パターンが私達の心理や精神にも見て取れます。

 

benesse.jp

rdreview.jaea.go.jp

imasaracmosanalog.blog111.fc2.com

わかりやすいのは遺伝子

www.jba.or.jp

 接触、関係性をより一層体感したかったら遊園地にこれがある

遊園地にもある。

ぶつかってはいけなくなった遊園地でこれに乗ったら、人生の玉突き事故に巻き込まれていないケースが体験できる。

しかし、ぶつかった方がゲームに参加している「感じ」がしますね。

 

news.livedoor.com

そう言う事かもしれませんよ。

 

平和になったり、幸せになったり、抵抗をやめたり、平穏な毎日をおくることといったこれらを避けて

実は自分から問題を創っていくという現象を無意識でやってしまうってことは。

 

そうやって感じる痛みや悩みや、苦しむことで生きている実感を確認している。

天国みたいじゃ生きている感じがしないのかもしれません。

 

takedamiki-j.hatenablog.com

 

 その人生の玉突き事故、連鎖をどうしたいですか?

世代間もそうだけど

誰かが誰かの影響を受けて反応して、

その反応をまた誰かに影響して・・・・

 

おそらく人間が存在してからずっと続いている。

原子や分子ということになると、人間が存在するまえから起こっている。

 

これは確かに法則だ。

同じ事が私達の間でも行われている。

今現在の私たちの間もそうだし、世代間、過去からもそう。

そして、未来へも影響していきます。

 

視野が広がると、

このただの反応の連鎖のなかにいるだけなんだと気づく。

無意識で連鎖の中に属している。

 

いわゆる「良い」連鎖も「悪い」連鎖も

理由はそれぞれが頭の中でつけるだけで、反応はずっと起きていて、これからも起き続ける。

 

だから、心理作用も科学なんですね。

 

反応の連鎖から抜けるという変化にだって抵抗を感じるのが人間なので

抵抗したままだと、結果的に、もうずっと同じままなのを選ぶことになっちゃうんですね。

 

そんなことが映画の中のシーンにもありました。

 

takedamiki-j.hatenablog.com

 

 

深く悩むと、

血の呪縛や血の連鎖と感じるものや、輪廻のバトンと感じるものに気がつくってことががあるようです。

ameblo.jp

kinesiology.wp-x.jp

 あなたが決められること、決められないこと

 もし、あなたが誰かから受け継いだけど次へバトンタッチしたくないナニカがあれば、あなたのところで連鎖をストップすることが出来ます。

簡単じゃないかもしれない。

挑戦してみる価値はあると思う。

 

もしあなたが是非受け継いでほしい影響があるのなら

それを押し付けるのではなくて、受け継ぐことを提案してみてはどうだろう?

選ぶのは貴方ではなくなりますが、それに魅力があれば押し付けなくても受け継がれていくかもしれない。

 

良いとか悪いと言ことは簡単には言えないことだけは知っておいて損は無いと思う。

 

 

ただ、「玉突き事故の中に自分はいるのかもしれない。」と気がつくことが先決だとは思います。

 

 

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打合せでした

カウンセラーのkazuyoさんと打合せでした。

 

kazuyoさんとお喋りしていると

心理についてもツーカーで話が展開するのと

感性が似ていたりするので話が早いですし、

深く話を聴こうとしてくださるのでとっても安心感を感じます。

 

kazuyoさんは沖縄県のあちこちで依頼されて心理講座をされています。

 

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カウンセラーのkazuyoさんと私

そしてkazuyoさんと今企画していることがあります。

 

とっても良いものです。

自信があります。

 

また追って参加者を募集します。

とっても楽しみです!

 

 

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ラジオ動画です

ラジオ動画です

2019年3月26日(火)沖繩カウンセリングラジオ

 

4月9日はお休みですが、4月2日は放送します!

 

この日のオープニングは

スターウォーズのテーマをかけました。

 

この選曲に一番喜んだのは私。

曲を聴きながら、顔がニヤニヤしています。

 

スターウォーズテーマ曲フル.mp4

 

 

f:id:takedamiki-J:20190329143709j:plain

FMよみたん 「沖縄カウンセリングラジオ」 毎週火曜日放送

 

天国を感じるには。

 

takedamiki-j.hatenablog.com

 この記事の続きを書きますが

そのまえにホームページのコラムを読んで頂くと、この先がわかりやすいのでご一読ください。

 

takedamiki.wpx.jp

 

 

このような体験をへて、ある日私が理解したことは、

「ただ生きていれば良いんだ」という事でした。

「ただ存在しているだけで良い」

「意味はない。存在だけで良い」と理解したんですよね。

 

実績や業績や善行、美徳、体験などについても考える時間をもって人生を過ごしていましたが、それは後付けなんだな。って。

 

能力を発揮するとか

自分を探すとかまったく関係ない。

 

本当の本当は何にもしなくて良いんだな。とまで思った。

絶対的存在価値なんて言葉がありますか?

あるとしたら、そんな風に感じました。

 

takedamiki.wpx.jp

 

 

そしたら、この本にも同じことが書いてありました。

 

存在そのもので良いと。

ナニカしなくちゃいけないと思う必要がない。と

 

beingness-「人間との対話1」より引用

 

Beingness と書いてありましたわ。

 

存在そのものという意。

 

 

 

で、こんなことも読みながら、自分の書いたことを思い出していくと、もっともっと思い出したわけですよ。

 

天国は平和で飽きちゃうから、また人間に生まれてみようか。とおもって生まれてくるっていう話を。

 

f:id:takedamiki-J:20190327224042j:plain

 

一体誰が言い始めたんだろう?

おとぎ話とか、そんなこと?

 

と思ったら、こんなやり取りがされていましたよ。

 

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp

どこで流通している話なのだろうか?

 

 

発祥はわからないながらも、どこかで聞いた話ではあるけれど、

どうやら、天国ということも定義はそれぞれであるようだ。

 

 

存在するだけでOK

生きてるだけでOKになるともうそこが天国です。という説明がされていて、そう言われたら確かにそれは成り立つかもな。と思えました。

 

 

私は人生でこんなことを考えたことは初めてでした。

そんな視点は無かった。

 

 

となると、今生きているうちに天国体験をするためには

  • 考え過ぎない。
  • 比べない。
  • 感情にもっていかれたり、共振しすぎて、自分がお留守(解離・トランス)にならないようにする。

 

こんなことをしたら良さそうです。

 

 

そして他にも、この本の中で書かれている「純粋で、正直な欲望」を大切にするということも鍵のようです。

 

私の体験で言うならば、

身体が時の声をあげたーホームページのコラム「「さとり」なの? この体感を解説してみました。深層リンパドレナージュ 家族コース開催」より抜粋

あの一瞬がこれにあたると思えました。

 

takedamiki.wpx.jp 

 

大転換、大改革が起きるのには、その大切な瞬間を逃さないのも大切そうだ。

 

その大切な瞬間というのは、純粋で自分のために働く無意識が、幸せを感じたいと正直に欲する瞬間ではないだろうか? 自分が浅い無意識で抑え込んで回避、逃避していたことを深い無意識の純粋さが突破したような瞬間。

 

幸せを感じてしまうと、そのあとそれが無くなった時が辛いから自分には最初から与えない方が楽だ。というような今をすっ飛ばして、未来に生きてしまうようなことをやめている瞬間。

 

 

だから、身体との対話、実際の対話を併用した心体カウンセリング™ 、セラピーが私は好きなのだ。

当事者の発露にも価値を感じるんだと再認識もした。

 

 

この本も含め、他にも大変な良書を薦めてくださっているクライエントには

とても感謝しています。

ありがとうございます。